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2013年09月01日

20130824 その1_20130825

8月24日から25日はあいちトリエンナーレへ。
24日は豊田市美術館の後に納屋橋会場、25日は朝から
名古屋市美術館、愛知芸術文化センター、長者町エリアは少しだけ。

全体としてはさすがにどれもクオリティは高い。
ただ3.11以降の
「しかしそれはジャーナリズムではないか?」
と言いたくなる作品が多いことも否めない。

3.11は何かを作る人間にとっては避けられないことである。
避けたとしても、どうしてもぶつかってくる。
だからといってそこで真っ向勝負をしては美術にはならない
のではないか?
そこで
「芸術は可能か?」
と問いかけ、それを作品とするのが現代美術の役割ではないか。

「芸術は社会の核心に迫らなければならない。 社会の核心に迫れないもの
 は芸術ではない。」
といったのはボイスだったと思うが、その上で美しいのが現代美術で
あってほしい。

さてさて24日夕方は納屋橋の会場へ。
リチャード・ウィルソンの作品はイカしてた!

片山真里は基本的には古典的な作家であると思うが、最近はこのような作家
が減っていると思うので続けて欲しいと思う。

25日は朝から名古屋市美術館。
イ・ブル。
大物なのにさらに大物感が増してしまって、これからどうするんだろう?(笑)

ブーンスィ・タントロシン(愛知県美術館、東陽倉庫テナントビルでも)。
飄々としている。でも社会を刺激している。そしていろんなところにある。
映像作品はたくさんあったけれど映像の強さを最大限に活かしているのは
このような作品ではないだろうか。

伏見地下街では打開連合設計事務所。
全く知らない人たちだったのですが、街中にあって素直にいいなあと
思えた作品です。

さて、あいちトリエンナーレもそうだけれど日本のビエンナーレ、
トリエンナーレは仮設の建物や既存の建物を使っていることが多い。
しかし今回それにも限界が来ている感じを受けた。
もし歴史や権威を作ろうとするならば、それなりの器が必要なのだ。
「ビエンナーレ、トリエンナーレで使う建物を普段は別の事に
 使っている」
というようなことは出来ないものだろうか。
箱ものは日本の得意技なんだから。  

Posted by nakai at 21:34Comments(0)現代美術

2013年08月25日

20130824 その1

この日は豊田市美術館のフランシス・ベーコン展と
あいちトリエンナーレへ。

朝7時、バスに乗って京都駅に行く。
この日のバスは繁華街を通るバスだった。
夜の繁華街はあまり好きではないが朝の繁華街はいろんな残骸が
あって楽しい。
そしてこの残骸はまだ生々しく、いろんな想像が出来る。

40分ほどで駅に着いたらまずは朝飯。この時間帯だとだいたい駅の
立ち食いそばに行く。立ち食いそばはうまいということはないのに
なんとなくまた食べてしまうもののひとつだ。何かを確認している
ような感じに近い。
そういえばそんなことを書いていたのは開高健だっただろうか。

チケットは青春18きっぷ。
40才を越えてからこのチケットを使うようになった。
これは、青春か?

さてベーコン。
どうしてみんなベーコンのことをこんなに騒ぐのか、というのが
今回知りたかったことのひとつだ。
どう見たってなんだかへんてこな絵だ。
でもたくさんの人が見たいと言う。
実際、会場にもたくさんの人がいた。

見ているとベーコンの絵は全てが生々しい。
生々しく描かなければならなかった理由がいくつもあったのだろう。
そしてそれを支える画面の構成力。
色の使い方、妙な四角や丸の大きさ、位置といい、これは
優秀なグラフィックデザイナーのようだった。

人は生々しいものを見るのが好きだ。
ただしそれが我が事でなければ。
ベーコンの人気はここにあるのではないだろうか。
そして現代美術から少しずつなくなりつつあるもの、それも
この生々しさなのではないだろうか。  

Posted by nakai at 23:32Comments(0)現代美術

2013年08月17日

20130817

MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w
井上隆雄 牧野和馬 写真展 「見えない何か」
2013年8月8日(木)~31日(土)(11~19時/日曜・月曜定休)

この2人の写真には共通点がある。
普通に見ていると何を写しているのかわからない写真であることだ。
写真の中心に人が写っているわけでもないし、物が写っているわけでも
ない。
では何が写っているのだろう?

ところで現代美術の中の写真、よくアートとしての写真と言われる
ものにはこのような写真がたくさん存在する。
写真というと「真実を写すもの」だから写真じゃないか、という人も
たくさんいるに違いない。

しかし現像という言葉を使えば杉本博司のいうように現な像という
ことを表しているのかもしれないのだ。
現には目に見える形をもつ、現にこの世に存在するという意味の他に、
夢とも現実ともはっきりしない状態、夢見心地、夢心地という意味も
ある。

今回の作家である井上隆雄と牧野和馬の写真には明らかに
見えない何かが写っている。
そして見ている僕たちはその何かに吸い込まれてしまう。
だからこの2人の写真を見てしまう。

写真の力を感じる展覧会だった。

そしてこの展覧会はMATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/wの
記念すべき移転後第1回目の展覧会。

新しい場所での展覧会を見て、なんだか画廊っていうのも
いいなあと思いました。
ここ数年の間に見たなんだか不動産にお金を払っているような画廊を
には(どことはいいませんけど)なんだかなあ、と思っていたのですが
新しいMATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/wはそんなこともなく
ただただええなあ、と思った次第です。
これからも楽しみにしています。
  

Posted by nakai at 23:48Comments(0)現代美術

2013年08月17日

20130816

京都市美術館開館80周年記念展
市展・京展物語-みんなここから羽ばたいた-

見てみたらおもしろかった、という展覧会だった。
どうしておもしろかったのか?
それはそれぞれの時代の現代美術の一部を見ることが
出来たからである。

そしてそういう展覧会が続いている京都というのはなかなか
やるなあ、と思ったのでした。

また上村松園・上村松篁・上村淳之作品コーナーにはなんだか
やられてしまった。
今回のようにまとめて見ているわけではないけれど、20年前にも
この3人の作品は見ていると思う。
しかし、その時に感じたこととは明らかに違う感覚がある。

それはどうしてなのかよくわからないけれど、おもしろい。  

Posted by nakai at 23:45Comments(0)現代美術

2013年08月17日

20130803

京都造形芸術大学 総合造形ゼミ展2013
「呼吸する視線」

シンポジウム
8月3日(土) 14:00~17:00
「呼吸する視線~目は口ほどにモノを言うか~」
ゲスト/司会・進行:河口龍夫 (美術家/京都造形芸術大学教授 筑波大学名誉教授)
出演:表良樹、河野暁穂、川端花恵、齋藤華奈子、
   佐々木光、崔多情、東條由佳、橋本啓大、平松実紗


この展覧会の作家9名には縁あって3回生の頃にハコバカで展覧会を
開いてもらっている。
今回は久しぶりに見る彼らの作品であったのでこちらもなかなか緊張の
抜けない感じであったのだけれど、1年ほどの短い間にもよい方向に向かって
いるのだなあ、と素直に思いました。

あまりにも安定していないこの世の中で学生とはいえ何かを作って
いくということは大変なことだと思いますが、それをなんとか
やり過ごしながら自分の思うことをしようとしているのがよくわかります。

シンポジウムはテーマがムズカシイなあ、と思っていたら
やっぱり始まってもなかなかムズカシイ展開が続きまして(笑)
どうなることかと思いましたがさすがここは司会の河口先生、
素晴らしい舵取りでした。

でももう今は口が目ほどにものを言っていない時代かもしれないなあ。
だから口(話すこと)の技術も鍛えないといけないかも、ね。  

Posted by nakai at 23:45Comments(0)現代美術

2013年08月17日

20130727

20130727

PARASOPHIA
オープンリサーチプログラム[報告会]
「抽象的に話すこと——ヴェネツィア・ビエンナーレに参加して」
田中功起+蔵屋美香
場所:同志社大学今出川キャンパス 良心館地下2番教室


作品は見ているがよくわからない、ということは少なくない。
(ちなみにこれは古今東西のどんな作品を見てもある。
 古いからわかる、自分の住んでいる国で出来た作品だから
 わかるということでもない。)
田中功起の作品もそのひとつであった。

作る方はドーンとおっきなものを展示して見る側はそれをパッと見て
わかったような気になる、ということ対する警鐘的な意味での受賞と
いうのもわからないではないが、パッと見て何かをわかるように
(たとえそれがその気になっているだけかもしれないとしても)作られて
いるのも美術の機能なのだと思う。

丹念にテキストを読んだり、そこに展示されているものの意味を
ひとつずつ読み取り、組み合わせていくことで作品の言いたいことが
わかる、という仕組みが選ばれたことの意味はわかる。
しかしやはりそれは若い人が作った作品を若い人が選んだ、という感じ
がする。
年取ったら文字を読むのも一苦労になるんだぜ(笑)

ヴェネチアヴィエンナーレそのものの仕組みがそろそろ疲弊する時期に
さしかかっている(どんな仕組みでも120年から130年も経てば
無理が生じる)ことも考えればこの選択は妥当なのかもしれないが、
でもなんとなく造形美から逃れられないところも残るのが美術で、ここが
おもしろいところではないだろうか。

いい作品だなあ、と思いましたが、ここにだんだん造形美がにじみ出てくる
とさらに思いもよらない効果が出てくる予感はします。
楽しみです。  

Posted by nakai at 23:43Comments(0)現代美術

2013年08月17日

20130719_20130720

高松市美術館開館25周年記念 
大竹伸朗展 憶速 SHINRO OHTAKE: OKUSOKU VELOCITY OF MEMORY

丸亀市猪熊弦一郎美術館
大竹伸朗展 ニューニュー

ART OSAKA2013

大竹伸朗の作品についてどうこう言うというのはなかなか難しいことで。
20年前ぐらいから
「おもろいおっさんや!」
と思って見ているので、今でも大竹伸朗の作品は現代美術だと
思って見ていないところがあります。

しかしながらここ数年の大竹伸朗というのは
「んー、それでいいのか大竹伸朗!」
という感じもあり、なかなか複雑で。

そして今回の香川での大竹伸朗祭り。(笑)

女根は見ていないのでわからないけれど、憶速とニューニューが同時に
行われていることは重要だと感じます。

久しぶりにダブ平&ニューシャネルを見てやっぱりすごいと思いました。
そしてまたモンシェリーがすごい。

モンシェリーが自画像ならダブ平&ニューシャネルも自画像なんじゃ
ないかなあ。

というわけで意外とよかった、というのが本音です。
(上から目線ですみません。)

ART OSAKAは大盛況。
驚くほどたくさんの人で本当に驚きました。
全てのギャラリーをのんびり見て、欲しい作品をひとつ買って帰る、なんて
いう優雅なことがしてみたいもんだなあ、、、。  

Posted by nakai at 23:41Comments(0)現代美術

2013年06月18日

20130614_20130616

「MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w
 ヴォイスギャラリー移転ドキュメント
 座談会「大空間の大実験を振りかえって」part.2
 6月14日(金)18~19時45分/ 20時~パーティー」

先週に続いて座談会の2回目でしたが、座談会には遅れてしまったので
内容は後日に発表されるテキストにお任せしますがパーティー、
楽しかったなあ。(笑)

でもどうして楽しかったのか?

それはこの場所から生まれる適正なパーティーであったからだと思うのです。
集まっている人、その人の多さ、内容などなど。
多くもなく、少なくもなく。
適当に、正しい。
こういうパーティーはとても少ないと思います。

新しい場所はさらにいい場所になるんじゃないだろうか、
と思わせるすごく素晴らしいパーティーでした。


「gallerymorningkyoto
 長尾ふみ個展」

一見すると写真のように見える長尾ふみの作品。
しかし写真よりも真実に近いのは長尾ふみの作品では
ないだろうか。
写真はそんなに真実を写していないことを感じさせる、
そんな作品でした。


「KUNST ARZT
 美術ペニス」

満員御礼! またゆっくり見に行きます!


「ホーリー・モーターズ
http://www.holymotors.jp/

僕は映画をほとんど見ないのでなかなか比較出来ないけれど、
この映画はすごい。

ドニ・ラヴァン演じるこの映画の主役オスカーが様々な役を演じていく。
その役にはまったくつながりもない。
銀行家、物乞いの女、モーション・キャプチャーの役者、、、、。

このオスカー、それぞれの役で、もうムチャクチャ。
人は殺す、殺されそうになる(でもなぜか不死身)、親として娘に説教する(笑)、、、。
昔の恋人と話す。
そうしながら自分についても悩む、、、。

いったい彼は何なのか?

この映画が成立するポイントはふたつ。
まず映像の美しさ。
こんな話なのに映像がとびきり美しい。(笑)
これはとても大事。
あとひとつはこのオスカーの考えていることが、現在に生きている人間ならば
ふと考えることであること。
自分は何かを演じているのでは?
本当の自分とは何?

監督はレオス・カラックス。

ちなみにこの映画を見ろ、といったのは我が編集の師匠、後藤繁雄。
さすが。
またいい映画、教えて下さい。  

Posted by nakai at 23:59Comments(0)現代美術

2013年06月09日

20130601,20130608

光島貴之 個展
「見る/さわるだけではわからない、かもしれない」
(MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w 6月1日まで)

<ヴォイスギャラリー移転ドキュメント>
part1 6月8日(土)
「大空間の大実験を振りかえって」
短いお話(15分)「出町→東九条→富小路高辻 転換の物語」松尾惠

座 談 会(90分)「メディアとしてのギャラリー」
吉岡洋(京都大学大学院文学研究科教授)×安河内宏法(アートコーディネイター)
司会・松尾惠(MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w)

この2週はMATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/wへ。
6月1日までの光島貴之 個展を持って現空間での展示を終了し移転する
MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w。
最後の展覧会は何だい?と出かけてみると光島貴之という人の個展であった。
光島さんは目が見えない。
これは事前に情報として知っていたことではあるが、その作品を目の前に
するといろいろ考える。
目の見えない人はどのようにして空間を知るのか?
どうやってこの素材を選ぶのか?
どうやってこの色を選ぶのか?
もう見ていても頭の中は
「どうやって?」
でいっぱいである。

しかし考えてみれば、これは目が見える人が作った作品でも同じことである。
どうやって選ぶか、なんて見える人のことでもわからない。
いつもは普通に思っていることが、こうやって普通ではないことに気付く。
そしてこの展覧会のタイトルに辿り着く。

わかることはムズカシイのである。
いやムズカシイも何も、そんなことは不可能なのかもしれない。
でもそれをやっぱり考えるのがいい。

そして8日は短いお話と座談会。
内容について細かく述べてもツマラんので書かないが、これはテキストとして
残されるべきお話と座談会であった。
聞けてよかった。
最近のギャラリーを見ているとその役目は終わりつつあるのかと思うことも
あったけれど、その考えは間違っていた。
ギャラリーはまだまだおもしろい。

このイベントにはpart2があります。
6月14日(金)18~19時45分  ※座談会終了後にパーティー 20時~?
予約不要・入場無料・パーティーのドリンク有料(一律¥200)

短いお話(15分)「インスタレーション 目撃者として」松尾惠
座 談 会(90分)「空間は制度をつくるか? オルタナティブとパブリック」
         小山田徹(美術家)×坂本公成(演出家・振付家)
         司会・山本麻友美(京都芸術センターシニアコーディネイター)

そしてMATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w、新スペースの企画展は
2013年8月1日より。
井上隆雄+牧野和馬 写真展「見えない何か」

いいタイトルですねえ。
楽しみにしてます!  

Posted by nakai at 23:47Comments(0)現代美術

2013年05月25日

2013年5月25日

今日は島ヶ原村民芸術「蜜の木」が主催する
「郵便夫(ポストマン)と森の星」
という展覧会に行ってきました。

http://shimagaharaart.onmitsu.jp/dao~ke_yuan_cun_min_yun_shu_mino_mu/The_postman_and_stars_in_the_forest.html

京都から電車で1時間30分ほどかかる、三重県伊賀市島ヶ原という場所で
地域に根ざした新しい文化芸術を発信していこうとする地元の若者たちの
文化ネットワークが島ヶ原村民芸術「蜜の木」です。

実のところ今は特に何もありません。
今回は島ヶ原で郵便配達をしながら独学で絵画制作していた河口重雄さん
という人が最後に残したアトリエで河口さんとこの村出身で蜜の木代表の
岩名泰岳という若い画家が描いた絵の展覧会でした。

まだどうなるのか、さっぱりわかりませんが地元の若者たちが自分たちの
生まれ育った場所でこのような活動を始めるということがたいへん興味深いです。

これは今までの資本主義を乗り越えて作られる、新しい経済の形の第1歩と
見えないこともありません。

だからこそたいへん興味深いのです。

今日は代表の岩名さんと後藤繁雄さんの対談もありましたが、後藤さんの言う
「うまくやれ」
という言葉が貴重です。

うまくやって続いて欲しい。
実にそう思います。

会期は5月26日まで。
詳しくは蜜の木のホームページへ。
  

Posted by nakai at 22:35Comments(0)現代美術

2013年05月19日

20130518

「日本記号学会第33回大会
 {音楽} が終わったら - ポスト音楽時代の産業/テクノロジー/言説」

最近、たまに学会に行く。
もちろん学会員でもないしよばれてもいないけれども。
このきっかけは吉岡洋という人にある。
直接存じ上げないのだけれどMATSUO MEGUMI+VOICE GALLERY pfs/w
から発行されている「有毒女子通信」を読んでいたらとてもすごい文章を
書く人がいてそれが吉岡さんであった。(編集も吉岡さん)
で、この吉岡さんが学会に出ているというので見に行くというか
聞きに行くようになった。
学会というのは不思議なところで、そこで話されてる話は現在のところ
一般人にはまず何の役にもたたない。
しかし不思議なものでその話がいくらか時間が立つと
「あー、そういえば、そんな話が、してたよなあ。」
という話になることがある。
これは現代美術にも共通するところである。

で、今回の記号学会のテーマは音楽、なのかしらと思ったら
どうもそうでいて、そうでないようだった。
音楽が終わる、といっているわけではないのである。
実はこの音楽を囲んでいる{}が大事で、この{}が現在の音楽を生み出している
構造や機能を表している。
それが終わるとすれば、じゃあどうなる、どうするっていう話だった
ような気がする。

またいずれ
「あー、そういえば、そんな話が、してたよなあ。」
と思うのであろうか。  

Posted by nakai at 11:05Comments(0)音楽

2013年05月13日

2013年5月12日

「棚田康司「たちのぼる。」展」
(伊丹市立美術館/旧岡田家住宅・酒蔵 開催中5月26日(日)まで)

家から伊丹はバスや電車に乗って早くて1時間30分ぐらいだ。
ちょっと遠いなあと思う。
この展覧会は先日対談していただいた彫刻家の田村崇さんからも
お知らせをいただいていて
「行こうかなあ、でもちょっと遠いからなあ。」
と思っていた展覧会である。

現在、朝日新聞の金曜日の夕刊にはだいたい隔週で美術評が連載
されている。
この美術評を書いているのは加藤義夫さんである。
先週もこの美術評を読もうと思って新聞を買って広げたら
この展覧会の美術評だった。その中にあった

「未完の美学」

この言葉にやられた。

と、いうわけで行って来ました。

正直なところ棚田康司の彫刻はどこかおかしい。
なんだか腕や足はいやに長いし、顔もありそうでなさそうな顔ばかりだ。
しかしそこにどういうわけか「リアル」を感じる。

ホントを追求するといつのまにかホントから離れ、ウソが顔を出す。
ウソを追求するといつの間にかホントが迫ってくる。

表現というのはなんと不思議なものなのだろうか。  

Posted by nakai at 23:54Comments(0)現代美術

2013年05月09日

20130509

すっかり忘れてました、このブログのあることを(笑)
最近、加藤義夫さんと話していて
「そういえば以前、現代美術に関するブログを書いてましたね」
と言われて思い出しました。
ありがとうございます、ヨッちゃん。

思い出したついでに少し書いておこうと思います。

「北浦和也木彫展」(ギャラリーモーニング、終了)
木彫というのは日本人の肌にあう感じがする。
やはり日本が長い間、木の多い環境であり今でも木は身近なものという
感覚があるからではないだろうか。

「志村ふくみ・志村洋子 作品展 しむらの色 KYOTO」(細見美術館、終了)
長い期間、艶かしい作品を作り続ける人というのはどうなっているんだろう。
うらやましいような、そうでないような。

「交差する表現 工芸/デザイン/総合芸術 」(京都国立近代美術館、終了)
工芸がかなり強く前衛のほうを向いていた時期がある。
それは僕が生まれる少し前から生まれた後しばらくの間のようだ。
そこにはかなりの葛藤があったのではないか。
このような葛藤は今もあるのだろうか。

「これからのそれから...And Then」
(MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w、京都国際写真フェスティバルサテライト企画、終了)

CHANEL NEXUS HALL presents NAOKI
(京都グラフィーの内のひとつ、二条城二の丸御殿台所、5/12まで)
この2つは京都グラフィーに関係する企画。
写真が街の中にたくさんあることは素敵だなあ。

しかし他の美術品同様、写真にも見方があって、
それを教えてくれる人がいると写真はどんどんおもしろくなる。
そういう企画が次の京都グラフィーにたくさんあれば。

あと二条城を歩いていて思ったのは修学旅行生が旅先で現代美術を見る
という機会がもっとあれば記憶に残るのではないかなあ、と。

ではまた。  

Posted by nakai at 12:39Comments(0)現代美術

2012年02月11日

「単純な多面」「京都市立芸術大学博士課程展」

MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w「単純な多面」
@KCUA「京都市立芸術大学博士課程展」、「アートフロンティア後期作品展」

若い人の作品ばかりの1日。

若い人の作品は見る側を試しているのではないか、と思うことが多い。
間違いなく95パーセント以上は下手なのだけれど、それでも全ての
作品が問いかけてくる。
それも
「これまでの表現とはなんでしょうか?」
「これまでの価値とはなんでしょうか?」
みたいなことを、とてもあやふやに。

だから実は価値の確定している作品を見る方が楽です。
でもすでに決まった価値だけを見るというのはおもしろくないのです。

これからの新しい表現というものが生まれるとすれば、やはり
若い人からであることは間違いありません。

というわけで、またどこかで作品を見ることが出来ることが
楽しみです。  

Posted by nakai at 20:48Comments(0)現代美術

2012年02月04日

20120121-22 名古屋→豊田

ジャクソン・ポロック展に行く。
ポロックは作品はわかりにくいが人はわかりやすい。
ポロックは誰よりもかっこいい絵が描きたかったのだ。
ただかっこいいとは何か、ということが問題となる。
今回の展覧会を見ながら、その問題について考えてみる。

かっこいいものは誰も見たことのないものである、と
ポロックは思った。
見たことがないは、わからないことに近い。
かっこいい=>見たことがない=>わからない、となっていく
ことはよくわかる。
そうやって出来上がったのが、ポロックの代表作。
ただこれ以上の作品が出来る前にポロックは死んでしまう。
代表作が出来たら、それを上手く使って違う絵を描けば
いいのに、なんて僕なら思うのだけれど、それはやっぱり
違うらしい。
わからないことが、わからなくなってしまったのかも
しれない。

次の日は豊田市美術館へ。
「山本糾 光・水・電気」
「みえるもの/みえないもの」
を見る。

写真は何を撮るかが重要。
そのことがよくわかる展覧会でした。  

Posted by nakai at 22:03Comments(0)現代美術

2012年01月19日

河口龍夫、鈴木昭男、キタカゼ・フェア

2012/1/15

京都市美術館の「京都にさぐる 美術の「こころ」」にて
河口龍夫のDARK BOX-1999を見る。
箱の作品としては数少ない男っぽい箱である。
あの中はどうなっているんだろうとDARK BOXを見る度に思うけれど、
開けないで過去と未来に思いを馳せるのがこの箱の楽しみ方ではないだろうか。

京都市美術館ではこの日、「新春!こころのかくれんぼう」という
パフォーマンスがあった。
何がわからないって、ダンスやパフォーマンスほどわからないものはない。
現代美術を見ているとダンスやパフォーマンスもたくさんあるので見る
機会ももちろんあるのだけれど、やっぱりよくわからない。
だからダンスやパフォーマンスを見ている時は
「わからんな〜」
と思っている時なのである。
なんだい?なんて聞いているどころではない。
ところが、わからないものは大好きなので何の問題もない。
わからないとは何か?
逆にわかるとは何か?
自分に問いかけるということがおもしろいのかもしれない。

gallery morning「キタカゼ・フェア」も見ることが出来ました。  

Posted by nakai at 22:53Comments(0)現代美術

2012年01月14日

苧坂恒治、二次元と三次元のはざま

イシスさんでやっている苧坂恒治さんの展覧会を見る。
以前は模様というものにそれほど興味がなかったのだけれど、最近は
おもしろいなあと思って見ることが増えた。
ものの見え方は年々変わる。
次に苧坂さんの作品を見る時はどのように見えるのだろうか。

その後、アートゾーンの「二次元と三次元のはざま」へ。
箱を作るというのも二次元と三次元のはざまだなあ、と思いながら作品を
見る。
おもしろそうな作品が多くあったけれど、もう少し社会性があればすごくいい
作品になるのではというものが多くあった。
社会性は大きなことではなくて些細なことでよいのだけれど。
その中で鈴木彩加さんの作品はこれからどうなって行くのかを見てみたいと
思った。
どうかこれからもたくさんの作品を作って見せて下さい。  

Posted by nakai at 22:03Comments(0)現代美術

2012年01月09日

池内フリマ、森村泰昌、Ai Weiwei

新春 池内フリマ@ZERO-ONE に行く。
また本を買ってしまった。
もっとたくさん本がある頃に行かなくてよかった(笑)

森村泰昌新作展「絵写真+The KIMONO」
高島屋創業180周年記念の一環として開催されたという展覧会。
ついつい「誂え」という言葉を思い浮かべてしまう。
たくさん作品があるわけではないけれど、納得。
よい展覧会でした。
ただ1月9日の夜の時点で大阪タカシマヤのホームページの
トップページにある美術画廊のところに案内が出ていないのは
いかがなものか?

友人のMさんから借りていて、ずっと読まなくてはいけないと
思っていた「Ai Weiwei - Interlacing」を読む。
とてもいい本でびっくりする。
どこが出しているのかと思ったらSteidlだった。
まず表紙に書いてあったし、、、。
本はちゃんと読まないといけない。  

Posted by nakai at 20:50Comments(0)現代美術

2012年01月07日

Chatterbox /ヒトの鳴き声、有毒女子通信

MATSUO MEGUMI +VOICE GALLERY pfs/w
「Chatterbox /ヒトの鳴き声」 by 倉智敬子+高橋悟

展覧会のある場所に入った時の感じというのはとても大事だ。
その感じはきっと展覧会全体から出てくるものなのだろう。
「Chatterbox /ヒトの鳴き声」は戸を開けて入った途端、なんだか
わからないものがあったけれど、その部屋の壁に掛かっていた作品も、
また別の部屋にあったコップの中の水が回転している意味もどうもよく
わからないままだけれど、なんともステキな場所になっていた。
こういうことがあるから現代美術は楽しい。
きっと今回の作家さんには僕には見えないものが普段から見えている
のだと思う。
それが作品となっているのだ。

帰りに取り置きをお願いしておいた「有毒女子通信」を引き取る。
こういう批評紙がもっと増えればよいのになあ。
そろそろ次の号も出るらしいので、皆様もぜひぜひ。  

Posted by nakai at 21:54Comments(0)現代美術

2012年01月01日

あけましておめでとうございます。

皆様あけましておめでとうございます。
2011年の現代美術はいかがでしたか?

さて、皆さんは国際美術評論家連盟の存在を
ご存知でしょうか?
文字通り美術評論家の集まりなのですが、昨年の11月より
日本支部の会報がweb版となり誰でも読めるようになっています。
(加藤義夫さんよりお知らせいただきました。)

現在はどの分野でも評論や批評というものがあまり必要とされて
いないようですが、これから正確な評論はとても必要だと
考えています。

もちろんその正確な評論を見抜く目は必要となりますが
まずは評論というものに接する機会を持つことは大事だと
思います。

ぜひ一度ご覧いただければと思います。

国際美術評論家連盟
http://www.aicajapan.com/index.htm

それでは今年もよろしくお願いします。  

Posted by nakai at 17:40Comments(0)評論